「村上幸子17回忌特別公演 心優しかった幸子さんを偲んで」
ダイジェストがBSNラジオで放送されました。
大倉さんではなくて
今回もBSNの元アナの河内潤一さんの司会で進行致しました。

「短い生涯だったにもかかわらず命尽きるまで
大好きな歌の道に全身全霊を注いだ幸子さん。
心に染み入る歌、笑顔、
優しさを私達に惜しみなくプレゼントして
突然遠くへ旅立ってしまった幸子さん。
今日はその幸子さんが
春風とファンの皆様のラブコールに誘われて
大空から舞い降りて来てくれる日です。」

①幸子さんゆかりの方々による
「私の中のさっちゃん」


作曲家の美樹克彦さん
「僕が彼女に会ったのは彼女が亡くなった年です。
平成2年の1月の末です。TV局で会った時に
楽屋に挨拶に来てくれたことがあります。
その時にとても丁寧に 宜しくお願い致します。 
僕は小林さんと一緒に楽屋にいたら
村上さんが来て宜しくお願い致します。
その時の雰囲気を僕が覚えていて、
さっちゃんこれからはもう11年もやってるんだから、
ね、楽屋に挨拶に来たら下からでなくて
目を水平にして宜しくお願いしますって丁寧に
言ったほうがいいと思うよと
どんな人も頑張ってねと下から言われれば
目が下がってしまって
そこでもう勝負ついちゃうから
同じマイク持って同じバンドで唄うんだから
ステージ上で勝負すればいいんだから
そこで勝負つけちゃいけないって言ったら
彼女はこれも聞いてくれました。
きっともし彼女がずっと元気で
いつか好きな人が出来たら
きっとその人の為に生きてその人の為に
その人だけを咲かせる為に
女のしては生きていたのかなと思います。」


走れ歌謡曲チーム
鈴木淑子さん(当時金曜日担当)
あかぎてるやさん(当時放送作家)
小池可奈さん(当時土曜日担当でさっちょん会メンバー、「さっちゃん物語」著者)

当時幸子さんは木曜日担当で
さっちゃん物語は7回忌にあわせて平成8年出版されたのだそうです。

可奈さん
「私の中にいつも浮かんでくる幸子さんの姿は日比谷病院の病室の姿なんですね。
最初のお見舞いに伺った時のお母様と和気あいあいとした母と娘の姿も
あるんですけど、行ったら幸子さんが病室にいなかったんです。
どうしたんだろうな?じゃあ置手紙しようと椅子に座って書いていたら
あら、可奈ちゃん来てたの~お風呂入っていたのよ~って
もう~リンスの良い香りをさせて来たときのさっちゃんが
なんですかわからないけれどもこの世のものに
思えなかったんですね。
人間くささがないけど、だからって楽してるわけじゃない
苦しみも悲しみも全部知ってるよ、でも凄く無垢、
とっても不思議な空気感を漂わせていて
さっちゃんお風呂入って大丈夫なの?と言うと
入らないと臭いよ~なんて言いいながら
ほんとにほのぼのとしたそれでいてどこか
世俗的なもの超越しているような
だから皆がさっちゃんが亡くなって3年たっても5年たっても
何年たってもあかぎさんくらいの大の大人が会場の隅っこで
泣くんですよ。幸子~幸子なんで~って
そのなんで~っていうのがさっちゃんが残したものなんだと思います。
ですから皆さん思い切り長生きして
村上幸子さんのこんな素敵な歌が実は日本にあるんだよっていうのを
隣の人に出会った人に知らせてください。
いつまでも村上幸子さんの歌が心がこの世に残るように」

明るく語った可奈さんでした。
これは可奈さんご自分のブログでも書かれていますが
明るく話すと決めていたのだそうです。

この前に十周年リサイサル日本青年館の模様が上映されていたようです。
1300人入るホールだそうです。
この17回忌公演も1200人位入ったそうです。
17年たっても本当に凄いですね。

②幸子さんの曲をリメイクされて歌っている方、
自分のコンサートで幸子さんの歌を取り入れて歌っている方達に
幸子さんの代表曲を歌っていただくコーナー


「じょんがら恋唄」昭和55年5月25日発売デビュー2年目に頂いた大切な曲

川野夏美さん
じょんがら恋唄
じょんがら恋唄

 幸子さんは昭和54年1月25日「雪の越後を後にして」で歌手デビュー
 高校卒業したその日に上京、スーパーでアルバイトしながら
 苦労の末つかんだプロデビュー。
「酒場すずめ」が古賀正夫記念音楽大賞、日本作詞大賞二つの賞を受賞

水元亜紀さん酒場すずめ
 「不如帰」デビュー10周年に何が何でも売りたいと
 魂を込めてレコーディングした勝負曲でした。

入山アキ子さん
不如帰
不如帰

 「帰郷」故郷を思い母を思う幸子さんの気持ちそのものが歌になった作品

吉田恵美さん「帰郷」
それぞれワンコーラスづつ放送されました。

幸子さんのお母様
「幸子は皆様の温かい愛と励ましを支えに頑張ることが出来ました。
そして頑張って頑張って十年間頑張りました。
ようやく自分の宝とも思える素晴らしい歌をいただきました。
いつもと同じに夜電話のベルが鳴りました。
もしもし私、ちゃんか出来上がったよ、今テープ流すからね。
流れてきたテープを聴いた時、私は全身震えました。
正直今思い出しても体が震えてたまりません。
そして声も出ず、ただ涙だけがいっぱい流れました。
それをさしてか幸子も無言のままテープを何回も何回もかけて
くれました。
流れきたのは『不如帰』と幸子のすすり泣く声。
幸子、歌手になって良かったね。
こんな素晴らしい曲を頂いて
これは幸子の宝物だよね。
幸子は うん、良かった~。
たった一言、その中には十年間の苦しみ、
辛さ、喜び、そしていっぱい感謝があふれてました。
そばにいたら抱きしめてあげたかったです。
ねえちゃんがこんなに長い間頑張れたのも
こんなに素晴らしい『不如帰』を頂けたのも
みんなに皆様の応援のおかげだから
この地元でデビューしたんだから
地元で一番大きい場所で一人でも多くの方と乾杯したいね。
そう言い残したまま、翌年『不如帰』をしっかり抱いて
死んでしまったのです。
最後になりましたがずっと幸子を支えて下さいました
これだけたくさんのお一人お一人の皆様
幸子と一緒に心から感謝申し上げます。
温かい大きな愛をありがとうございました。」


③友情出演 鳥羽一郎さんのステージ

兄弟船
カサブランカ・グッバイ

鳥羽一郎さんは幸子さんと一緒のデビューなのだそうです。
二人とも故郷から名前をいただいたということで共通点もありますね。

幸子さんとのデュエットは
初めてのデュエットでそれまで全部話しを断ったのだけど
幸子さんだからOKしたのだとか

「時々ね、会いに来るのよ、俺の所へ、ほんとに。忘れた頃に来るのよ。
4、5年前ですよ。レコード会社のスタジオで、
幸子もずっとそのスタジオでレコーディングしていた。
俺がレコーディングしようと思ったら、
全部機械壊れちゃった。
バリバリバリーとかバリバリバリーとかなんかいろいろ言ってくんのよ。
…命日なんだよ。その日が
え~、これ不思議ですよ。
これ去年もそうだよ。
ディズニーランドの近くに浦安って所があるんだよ。
そこの水族館行ったんだよ。
そしたら幸子と同じような顔した人がすっと出て来たんだよね。
バッタリあった。妹だよ。
命日だよ。
鳥羽一郎だけは私のこと忘れないでくれってね、時々出てくるんだ。
それじゃあ唄おうかね。『みちのくしぐれ』を」

デュエット
みちのくしぐれ鳥羽一郎&31歳の村上幸子さんの歌入りカラオケ

鳥羽さんが言われるまではひょっとして
なつなつが抑えて一緒に唄っていいるのかな?と思ってましたが…。

鳥羽さんに幸子さんのお母様から花束が贈られました。

母の磯笛
母の磯笛
北の鴎歌
鳥羽さんのステージも大変明るかったです。
トークも大受けでした。
ちょっと綾小路さんもヒントにしているのかな。